昨日被弾せしアニサキス症のダメージ未だ残れど、日課たる早朝山道入隊へ出撃せり。
未だ空に残る月を仰げば、
定点観測。
山道路傍にて蕨採取すれば、未だ暫くは蕨堪能し得るか。
扨、昨日アニサキス症に被弾、日がな苦悶せられし「鯖寿司」残党召喚、流石の私も今回に限れば、加熱調理すべく解体、
斯くして「鯖きずし」は片栗粉塗し揚げ「鯖竜田揚げ 特製胡麻ソース添え」へとリサイクル、
片や「酢飯」は、その酸味を飛ばすべく、有り合わせ野菜共々炒め「ドライカレー」へと魔界転生、
「胡麻ポンサラダ」添えれば、
ワンプレートにて魔界転生リサイクルクッキング「鯖竜田揚げ&ドライカレープレート」食せり。「鯖竜田揚げ 特製胡麻ソース添え」は兎も角、矢張り酢飯リサイクルせし「ドライカレー」は可成り無理あれば、味わい及び食感共々大いに微妙なれど、致し方なし。
口直しに、先達てスーパーにて叩き売られしプリンに、ミントの葉をON! これが驚異的な美味さ誇れば、1個88円也にて叩き売られし廉価版プリンとは到底信じられぬか。
二十代の当時、名古屋は藤が丘駅前にありし「パンプキンポンプキン」なるエスニック系喫茶店に通い詰めれば、毎夕、中近東料理屋「キャラバンサライ」出勤前に立ち寄り、些か早き夕飯食らいし。当初は「山の幸ピラフ+マサラチャイ」をアホの一つ覚え宜しく只管リフレイン、然れば私が来店すると同時に、店主稲垣さんが「山の幸ピラフ」調理開始される程たりしか。
店内の黒板にて、年中不変に「ランチ:チキンライス(人参サラダ+チャイ付き)」掲げられれど、私の来店時刻は到底ランチタイムにあらざれば、オーダーせし試しあらざれど、或る日、居合わせし他の客が、見慣れぬピラフの如き食されるに遭遇、思わず「あれは何ですか?」と尋ねるや「ランチのチキンライスだよ」「えっ?ランチって今(午後4時頃)でも頼めるんですか?」「1日中注文OKだよ」そもそも「チキンライス」なる名称なれば、自ずからあのケチャップにて炒められし、オムライスの中身としても知られる「チキンライス」想像すれど、此処は普通の喫茶店にあらざれば、成る程全く以てオリジナルな代物たりしか。
斯くして翌日来店するや否や、稲垣さんが「山の幸ピラフ」調理開始せんとされる前に「今日は山の幸ピラフじゃなくてチキンライスを!」と早々に申告、斯くして初めて食らいし「チキンライス」は、所謂サフランライスをベースにせし焼飯なれど、大振りの鶏腿肉がゴロゴロ、而してその味わいは、大蒜と胡椒が激烈な刺激と化す様にして、正に禁断症状間違いなしなる麻薬的美味さ誇る代物たりしかな。以来、私はほぼ毎日このランチメニューを以て夕飯とすれば、正に今以て我が人生の一部に刻まれし「郷愁の味」なり。
扨、アニサキス症のダメージの余韻残れば、空腹なれど食欲湧かぬ有様にして、備蓄食材の鶏腿肉眺めるや、ふとこの「パンプキンポンプキン」の「チキンライス」思い出され食欲復活、然りとて果たしてあの味を再現可能や否や、今やその味わいの印象こそ残れど、詳細は既に大概朧げにして、埃塗れの記憶を呼び覚ましつつ、いざレシピ推察し調理開始せり。
斯くして「チキンライス」完成すれど、そもそも見て呉からして随分異なれば、肝心の味わいも微妙、明らかに「似て非なる一品」なり。
付け合わせ「人参サラダ」も再現せんとすれば、この代物は、そもそも本郷に在りしスペイン料理の老舗 「エルティポ」から、初代店主ジミー時代の「パンプキンポンプキン」へ渡来伝承されしと思えば、私はジミーが新たに開店されし「キャラバンサライ」に勤めし際に拵えし経緯あり、あれから三十数年経過せし今以ても、食卓に上る珠玉の逸品なり。
斯くして郷愁の再現クッキング「チキンライス(人参サラダ付き)」完成せり。肝心の「チキンライス」の味わいは微妙にして残念なれど、亦何れの機会に再挑戦せん。
「パンプキンポンプキン」は、私が藤が丘界隈より転居せし後、知らぬ間に閉店されにけりて、2代目店主稲垣さんや、番頭たりし勘太郎さんは、果たして今どないしてはるのか。稲垣さんは今や七十路、勘太郎さんも六十路半ばと思えば、何せ当時二十代たりし私すら五十路半ば過ぎ、御二人の息災祈りつつ、もしも叶うならば今一度御会いしたき限り、序でに「チキンライス」のレシピも、是非に御教示頂きたし。