赤貧ドサ廻りミュージシャンを生業とする私なれど、昨年はコロナ狂騒の煽り食らい海外遠征予定全滅、駄賃程度の収入さえ絶たれれば、今年は何としても芸にて身を立て得る可く、天川村は天河大弁財天社へ定例参詣せんとす。
道すがら、絵馬発祥の神社なる丹生川上神社へ立ち寄れば、
晴天を祈る白馬、雨天を祈る黒馬にも謁見させて頂きし。切り揃えられし前髪、鬣、尾の佇まいが、いとやむごとなし。
而して天川村は天河大弁財天社へ到着せり。嘗て未だトンネル群あらざりし頃は、連峰に沿う曲がりくねりし山道を辿りて数時間も要せば秘境の名に相応しき様なれど、今やトンネル群を抜ければ天川村、何と明日香の深山より僅か1時間余にして、況して街道には小売店や土産物屋も並べば、私が居を構える明日香の深山の方が、世俗より隔絶するとは云うに及ばず、遥かに強烈なパワースポット然とせし人外魔境にして、仮令パワースポットとしてその名を馳せる天河大弁財天社界隈ですら、随分と俗っぽく感ずるも止む得ぬ次第かな。
昨冬は2月に訪れれど、積雪どころか残雪すら皆無、今年は冬の風情漂わす程度の残雪ぶり、凡そ年末に寒波襲来すれば雪も積もれど、新年早々天候に恵まれれば、斯くの如したらん。
コロナ狂騒の煽り食らい、矢張り手水所より柄杓撤去、代わりに特設手水所設けられし。
本殿にて五十鈴鳴らさんと思えば、此処も矢張りコロナ狂騒の煽り食らい、鈴紐が斯くなる有様。
然れば心の中にて五十鈴鳴らし参拝せり。
天河大弁財天社の御神籤と云えば「古代言霊御託宣」なる、古語にて綴られるのみならず達筆過ぎにて難読至極な代物、然も毎回諫言叱責連なれば、仮令大吉であれ全く以て喜べぬ次第、而して今年も散々窘め戒められれば、その訓戒を有り難く頂戴せし上にて、己れの信ずる儘に我が道を邁進暴走させて頂く可く、恐み恐みも乞祷奉らんと白す。
天河大弁財天社を後にするや、毎度御馴染み定番コースたる洞川へ向かえば、先ずは天川村営日帰り入浴施設「洞川温泉センター」へ。幸い他の客も殆ど居らねば、貸切気分にてのんびり湯に浸かり、正に気分は極楽天国。
女人禁制の地として知られる修験道発祥の地にして、霊峰大峯山の登山口に行者の宿泊所として栄えし洞川温泉郷、古格な普請の老舗が並べば、その冷涼な気候を以て関西の軽井沢とも呼ばれれど、夏の賑わいが幻かと思わせる冬の景色、殆どの店舗は休業閉店、行き交う人も僅かにして地元の方々ばかりなり。
夏季には、大将が川魚の塩焼のみならず、大将御自慢なる自家製アテあれこれも振舞われ、縁台にて美酒美食堪能し得る、知る人ぞ知る「魚清」も、冬季はオフシーズンなれば、専ら本業たる鮮魚店営業及び食品日用品販売のみに留まる次第にして、況して本日は未だ正月休業の御様子なり。
郵便ポストに積もる雪がモヒカン型とは、いとをかし。
熊野川の源流たる山上川を臨めば、
水面の模様、いとあはれなり。
龍泉寺参拝せんとす。
胴体に各々仔狛犬が絡めば、何ともSF的な狛犬に、御無沙汰せりと御挨拶、
本殿へ赴き、御本尊たる弥勒菩薩参拝せり。
境内の残雪僅かにして、冬の龍泉寺は雪に埋もれる印象たれば、何やら清々しきかな。
雪に埋没される御地蔵群も、雪払われれば、各々の御尊顔も拝み得ると思いきや、
斬首されしが如く、頭部が雪に転がる御仁発見、
嘗て国東半島徘徊中、臼杵石仏を拝みし際、予め写真等にて馴染みしは、首が地面に鎮座される姿たれど、奇しくも私が訪れる直前に、首を胴体に据え修復されれば、不謹慎にも大いに落胆せし経緯こそあれ、此処は頭部を胴体に乗せさせて頂きし。
斯くして龍泉寺を後にすれば、
是亦毎度御贔屓にさせて頂く食堂「みやそい」の前を通るも、生憎空腹にあらざれば、洞川訪れ乍ら初めて立ち寄らず帰路に就きし。